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自分の家をつついてかんがえたこと

大工です。

物欲はない方だと自認しているが、それでも毎日買うばかりで捨てなければモノは増えるもの。特に本の増加が著しい。庭付き、畑付き、田んぼ付きの、平屋で20坪ほどの借家は私たち家族4人には十分な広さだが、それでも重い腰を上げてこの休みにつつき始めた。天井を剥いでロフトをつくろうというもの。夏にやれば良いのにこれから冬に向かうという10月から始めたものだから、寒がりのかみさんからはブーイング。工期通りには進まないだろうことをよく知っているし、ましてや大工は自分の住む家のことにはとんと無頓着で、「どうでもいい」といった風情なのだから当然の事だろう。巷の三連休に天井を壊し、既存の梁の上に角材を並べて床をはる段取りをする。作業自体はそこそこすすんだので昼に缶ビール(正確にはリキュール発泡性)を空けてウトウトと。程なく電気屋さんが来てかみさんに叩き起こされた。自分が来てくれと頼んでおいて忘れているのだから始末に負えない。いろんな外圧もあって、この3日間で作業はかなり進んだ。ここで気を緩めてはいけないね。

DSCF4132.jpg

今回、自宅をつついてあらためて感じた事。大工には二種類いるということ。立派な(?)自邸を自らの手で建ててそこに住まう大工、またはそうしたいという意思を持った大工がいるのとは別に、自分が住む家には興味がなく粗末な家(あるいは借家)に住み、また将来も自らいい家に住もうという積極的な意思を持たない大工がいるということ。そして自分はまちがいなく後者であるという事。知ってる大工たちの顔を思い浮かべながら「やつも後者だろう」などと想像してみたりする。直接本人に尋ねた事はないので確かな事は分からないのだが。

ではその両者の間で意識の差異はなぜ生じるのか?その差異の原因はどこからくるものなのか?資金の有る無しもひとつの要因として存在するでしょうが、その事は本質的なこたえではないように思います。少なくとも私は現在のつぎはぎだらけの今の借家で十分だと思っていますし、仮に宝くじに当たったとしても大金をはたいて自宅を建てる事はたぶんしないでしょう。大工という仕事に対する熱意の差?これも明らかに違います。自らはあばらやに住みながらも依頼者のために身銭を投入してまで仕事に妥協を許さない大工を何人も知っています。

私が考えたひとつのこたえはこうです。後者の大工たちは「自分の家なんかいらない。家に大金を投じる価値はない。家なんか建てない方がいい。」そう考えているんじゃないかということ。家を建てる事を生業にする大工が家なんか建てない方がいいというのは、自分の首を絞めるようなおかしなはなしです。しかし現在建てられる家の大半はプロの大工をそう思わせるだけの、ワクワクしないもの、実体のないもの、うわべだけのもの、滑稽なもの、迷惑なもの、価値のないもの、と言わしめるのに十分です。大工だからこそそのつまらなさにいち早く気づき、「おれはいらないよ」と無意識のうちに反旗をひるがえしてるのではないかと思うのです。考えて見ればそれも無理からぬこと。築100年を経た古い民家は現在の建築基準法のもとで(違法建築とは言わないまでも)既存不適格の扱いを受け、大規模な改修もままならない。結局はなすすべなく取り壊されて工場で生産されたハウスメーカーの建てる無機質の箱が立ち並ぶ。このような状態でいったいどうやって大工は家を建てるという事に希望を持つことができるというのか。仕事にあぶれた町場の大工のうち幾人かは日銭を稼ぐためにハウスメーカーの下請けに入ります。それも望まざる状況で。つまらん家だと自覚しながらもそこで働かざるを得ない大工たちの心情は容易に想像できます。「メーカーの下請けに入るくらいなら、大工は辞める」と、現場を退いた大工も数多く存在するでしょう。
大工自身が家づくりに希望が持てないという事はつらい事です。しかし、このことは現実です。「将来なりたい職業は?」という子供への問いかけには必ず「大工さん」というこたえが上位に入るようですが、近い将来、そう思う子供の数は必ず減るでしょう。

もうひとつの私のこたえ。単純な事ですが、家づくり以上に重要だと考える事があれば必然的に自分の家のことは後回しになります。また、自分自身のことに対して興味が薄ければ(あるいは自分の住む世界ではなく自分と違う世界に住むもののほうに興味の対象があれば)自分が住む家についても興味の対象とはならないということになります。かみくだいていえばこうです。自分自身ががどういう服を着ようがどういう車に乗ろうが、どういう家に住もうが、実は私はあまり興味はないのだということ。そのことに気づきました。「小学校のときにいじめられてた彼女は今どうしてるだろうか、いまでもいじめられてるのだろうか」「菅家さんは刑務所で毎日何を糧に生きてきたのか」「授産施設にはどのような人がいてどういう暮らしをしているのだろうか」「中電の上関事務所に勤務する人たちはほんとうに原発は必要なものだと考えているのか。仕事だからしょうがなくやっているだけで本当は個人的には反対なんだという人も中にはいるんじゃないか」「拷問におれは耐えられるだろうか」そんなとりとめのないことに私の興味の対象はあるのです。


「もうひとつの個人的なブログについて」

このブログは基本的にはかみさんのブログであり、営業活動をほとんどしない大工に業を煮やした彼女が初めたものです。ここでは基本的に大工の仕事とその家族の日常のことが書かれています。途中から私もここに参加するようになりましたが、当初の成り立ちから、私の書く内容も必然的にその範囲の中でのものになるし、それ以上の事は必要ないと考えていました。私には私個人の別のブログがあるし、範囲を超える内容のものはそっちに書けばいいだろうし、この二つには関連性はないと考えて、あえてこのブログから直接のリンクも張らずに今日まで来ました。しかし、それ以外のこと、大工という仕事以外のこと、私が興味を示し考えていることは、自身の家づくりに対する思想と明らかに通底していて、決して切り離すことはできないのだと気づきました。仕事以外のことに対する、先に列挙したような私の興味がやはり大きく自分の家づくりにも影響を与えていて、まさにそのことこそが私がつくる家としてのアイデンティティを保証しているのだと。

今回こう考えたことを契機に、右のリンク欄に私自身のブログへの直接のリンクをはることにします。家づくりには直接関連のない私的な考えや感傷、時事問題に関する考え等、とりとめもなく不定期に書いています。こちらもどうぞよろしく。

久良工務店ー久良大作のブログ



3件のコメント

[C308]

ご自身のブログは少し難しいけど・・・
このブログに関しては絶対同感です!
日本の建築文化がどっかへ行ってしまいます。
建築基準法の見直しとかの話しが今日のニュースで前原国土交通大臣から出てますがどうなるやら?
何もかも規制すれば良いと言うものじゃないし家を建てられる方のことももっと考えて欲しいですよ。
がんじがらめに縛られた法の元では決して良いものは出来ないと思います。
少し飲んでますが・・・
  • 2009-10-12
  • 投稿者 : ちょい悪
  • URL
  • 編集

[C309] 大工だった父は<紺屋の白袴>って言われていました

昔 台風で家が傾いたとき 父は電信柱のような大きな木で つっかい棒をしていました
大工だった父は 自分の家は修理する間が無く 
注文の家や修理に明け暮れていたと思います
やっと時間ができて作った家は 残り物の材料で <とりあえず・・・>という程度のもの 
↑のお考えはうんうんと思いました
上関の中電関係の方の中にも 原発反対の方もいらっしゃいます
他の労組のかたで デモに参加しても<早辞め 早辞め・・・>って思いながらデモっている人もいます
これを聞いて 私もホッとしました
  • 2009-10-13
  • 投稿者 : うたちゃんの店
  • URL
  • 編集

[C310]

ちょい悪さん
いつもありがとうございます。日々悶々と仕事していますが、こうして文字にする事で自分の考えをまとめていく作業も大切な事です。自分の内面を掘り出す作業は気力も体力も必要ですが、自ら奮い立たせて「書く」という作業を継続していきたいと思います。これからもよろしくお願いします。

うたちゃんさん
情景がありありと目に浮かびます。大工だった父君のこと、こういう話を聞くと親近感を覚え、何ともいえない豊かな気分になります。ありがとうございます。



  • 2009-10-14
  • 投稿者 : 尼助丸
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