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「なんとかなる」

 昨年8月、駐車スペースの確保とゴミの片付けから始まった古家の改修工事、先日施主のKさんに鍵を渡して帰路についた。工期約10ヶ月、当初の予定より2ヶ月遅れの竣工。予想以上にシロアリの虫害がひどく、大黒柱、隅柱も含め8割方の柱を入れ替え、差鴨居もほとんど入れ替えた。構造耐力の確保のため、要所要所には最低限の合板を使い、最低限の金物も使用した。工事を引き受ける時に「なんとかなる」と思い、そうして現在、「なんとかなった」と思う。こうやって「なんとかなる」という経験をひとつづつ積み重ねてゆくことが歳を重ねてゆくということなのだろう。しかし、経験値が上がってゆくのと反比例して、老眼も進み、膝がギクシャクしだし、腕を挙げると痛みが走るようになり、身体という入れ物は着実に衰えてゆくのを実感する。
 
 エンデのセリフをもう一度。
「わたしが書く行為は冒険のようなものだ。その冒険が私をどこへ連れてゆき、終わりがどうなるのか、私自身さえ知らない冒険です。(中略)本当の冒険は、そんな力が自分の中にあるとはそれまでまるで知らなかった、そのような力を投入しなければならない状況へ人を運んでゆくものです」ー「ものがたりの余白」から

 今回の古家の改修仕事は、自分にとってまさに本当の冒険だったと言える。この種の冒険に似た感覚、設計された図面通りにものをつくる新築にはない。新築仕事よりも改修仕事に惹かれる自分の感覚は、おそらくこんなところにもあるのだろう。 特に、巷にある工業製品を寄せ集めて組み立てるのが主流の今の新築住宅にあって、ものづくりの楽しさを求めることはもはや不可能に近い。そこにあるのは、何と何をどこに使うのかという、各パーツの組み合わせの遊びでしかない。無数に存在する工業製品の組み合わせは無限近くあり、それゆえ何かを作ったのだと錯覚してしまう。そこに陥らないためには、自ら素材を選び、それを自らの手で加工してゆくことこそ必要なのだと思う。その素材として、木は生き物なので、二つとして同じものは存在しない。一つとして同じ家が存在しないのと同じように。
 現在の流通システムの中でしか成り立たない家づくりには徹底的に抗いたいと思う。 

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