蔵の解体が昨年の8月、その際持ち帰ろうとした長さ6m直径50センチの松の古材は雨漏りでやられていた。半年以上畑に放っておいたものを、昨日チェンソー短く切って持ち帰った。芯の赤身はシロアリにもやられずに見事に残っている。こういった実体験は生きた教材になる。新築ばかりじゃこういった経験はできないですからね。芯の赤身だけのこして再利用できたかもしれないが、こうしてしまっては、あとの祭り。
同じ仕事というのは続くもの。アルミ支柱に柿渋を塗った杉板を打って、塀をつくった。簡便な方法だが、脚もとの腐食を考えなくてよい。木の部分は必要に応じて張り替えればよろし。このあと、スロープ部分生コン打ちの準備。
今の家に住みはじめて10年、幼稚園生だった長男坊は高校生になり次男坊は中学生になった。築40年の家を必要に応じて手を加えながら今日に至っている。住人のひとりが大工なので、改造はオテノモノ、には違いないのだが、我が家の事となるととたんに腰が重くなるのが現実。仲間の大工と話をしても似たり寄ったりの状況。半年から一年待ちは普通、ついぞ計画倒れという事も日常茶飯事。「あれば便利」は「無くても平気」となる。しかし、モノがあふれ、不要な購買意欲をかき立てるのが現世、「あれば便利」と消費拡大を狙うのがアベノミクスであればこちらはとことん「無くても平気」を貫こう。「あれば便利」の行く先が原発ドカン。それでもわからない日本人。本当に必要なものは何かを見極めよ。子供部屋となっているロフト、冬は天国だが夏は地獄。数ヶ月前に買っておいた天窓の設置工事。空気を抜いて少しでも暑さの解消に。
塀というもの、狭い敷地ををよけいに狭く見せ、広くて大きな家のその成金趣味を強調する。あまり囲い込まないがよろし。とはいえ世にはフトドキモノも多いようで、敷地内への不法投棄に困っているとの相談。できるだけお金をかけずに何とかしたい。延長約100m、アルミの支柱を立ててそれにラス板を打ち付けた。さながら牧場のよう。
通りに面する北側と西側の窓に格子をつけました。格子の寸法は毎回悩むところですが。今回は見付けを薄く、見込み(奥行き)を深く取り、少し華奢な感じをもくろみました。見込みが深い分、正面に来ないと中の様子は見えません。化粧の軒裏とあわせてやっとしっくりした感じです。