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背負うということー建築編

 近年の棟上げはそのほとんどがクレーン車にたよるものだが、手あげ(=柱や梁などを人力だけで組み上げる)の現場は今でも存在するし、今後もゼロになることは無い。小規模なもの、重機が近くに入らない敷地、現場合わせの多い増改築においては、小回りのきかない重機は無用の長物であり、熟練した職人の手に劣ることもしばしばだからだ。数十本もの、何十キロもの材料を、人力だけで自分の頭上高く組み上げるのは、危険で過酷な作業ではある。けれども、数ヶ月かかって墨付け、刻みという作業をこなしてきたのにもかかわらず、一抱えもあろうかという梁が、クレーンによっていとも簡単に瞬時のうちにそれらが組み上げられて家の骨組みが出来上がってゆく様は、見事なまでにあっけなく、それまでの労苦を肌で感じるものにとっては興醒めですらある。
 棟上げは危険をともなう作業であり、重機を使用することは安全確保のため必然ではある。しかし、様々な事情でそれが不能な時、すなわち、やむを得ず手あげになるときの気持ちの高揚は、やはり否定できない。大変な作業に対する戸惑いと、それを回避したい気持ちがまず一番にあるのではあるが。手あげによる棟上げは、ここにいたるまでの作業に対する敬意であり、それを再度、皆で背負うことによって自らの体の労苦で再確認する過程である。しいては、手あげは木に対する敬意の表現でもあるようにも思う。
 建設現場で安全と効率が第一とされることに真っ向から異を唱えることはできないけれども、すべてが効率化されてしまって、そこに携わるひとびとの汗のにおいや手垢の跡を、肌で感じることができないとすると、そんな仕事のどこに魅力があるというのだろう。仲間と一緒に一本の梁を背負うという作業に、私は無上の価値をみる。

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