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薪ストーブ設置
木の家や土壁の家と高気密高断熱の家は両立しない。寒いより寒くない方が良い、暑いより暑くない方が良いのは当然で、それを志向するのだけれど、家づくりにおいてまず第一に素材、木や土にこだわる限り、自ずと限界が訪れる。それを受け入れられない人はハウスメーカーに頼むようになる。石油化学製品を極力排する限り、どんなに頑張っても中気密中断熱程度が限界だ。しかし、プラスチック(石油由来製品)で密閉された空間に住むということを、私はどうしても選択できない。
古家は改修を施しても、それなりに寒い。土壁と相性が良いのはやはり薪ストーブ。輻射熱で、空気ではなく壁自体を温めてくれる。今回設置したのは国産の鋼板製の薪ストーブ。通常、薪は広葉樹を使うべきで、針葉樹はタールがたまりやすく、高温にもなりやすいので敬遠される。しかし、薪をどうやって確保するかは大問題で、ワンシーズンで使用する量の薪を全て広葉樹で用意できる人はかなり少ないだろう。今回の家主さんは、自分の山にはびこる竹を燃料にしたいということで、この機種を選ばれた。竹は体積あたりの重量が小さく、燃料としては難しい部分もあるだろうけれど、ファッションではないその導入意図に賛同したい。今まで設置工事は薪ストーブ屋に任せていたけれど、今回の薪ストーブ屋は施工は「煙突工事は大工さんに」。勉強して、部材を買い集めて、初めての施工。火入れは11月頃か。

古家は改修を施しても、それなりに寒い。土壁と相性が良いのはやはり薪ストーブ。輻射熱で、空気ではなく壁自体を温めてくれる。今回設置したのは国産の鋼板製の薪ストーブ。通常、薪は広葉樹を使うべきで、針葉樹はタールがたまりやすく、高温にもなりやすいので敬遠される。しかし、薪をどうやって確保するかは大問題で、ワンシーズンで使用する量の薪を全て広葉樹で用意できる人はかなり少ないだろう。今回の家主さんは、自分の山にはびこる竹を燃料にしたいということで、この機種を選ばれた。竹は体積あたりの重量が小さく、燃料としては難しい部分もあるだろうけれど、ファッションではないその導入意図に賛同したい。今まで設置工事は薪ストーブ屋に任せていたけれど、今回の薪ストーブ屋は施工は「煙突工事は大工さんに」。勉強して、部材を買い集めて、初めての施工。火入れは11月頃か。

立秋
「なんとかなる」
昨年8月、駐車スペースの確保とゴミの片付けから始まった古家の改修工事、先日施主のKさんに鍵を渡して帰路についた。工期約10ヶ月、当初の予定より2ヶ月遅れの竣工。予想以上にシロアリの虫害がひどく、大黒柱、隅柱も含め8割方の柱を入れ替え、差鴨居もほとんど入れ替えた。構造耐力の確保のため、要所要所には最低限の合板を使い、最低限の金物も使用した。工事を引き受ける時に「なんとかなる」と思い、そうして現在、「なんとかなった」と思う。こうやって「なんとかなる」という経験をひとつづつ積み重ねてゆくことが歳を重ねてゆくということなのだろう。しかし、経験値が上がってゆくのと反比例して、老眼も進み、膝がギクシャクしだし、腕を挙げると痛みが走るようになり、身体という入れ物は着実に衰えてゆくのを実感する。
エンデのセリフをもう一度。
「わたしが書く行為は冒険のようなものだ。その冒険が私をどこへ連れてゆき、終わりがどうなるのか、私自身さえ知らない冒険です。(中略)本当の冒険は、そんな力が自分の中にあるとはそれまでまるで知らなかった、そのような力を投入しなければならない状況へ人を運んでゆくものです」ー「ものがたりの余白」から
今回の古家の改修仕事は、自分にとってまさに本当の冒険だったと言える。この種の冒険に似た感覚、設計された図面通りにものをつくる新築にはない。新築仕事よりも改修仕事に惹かれる自分の感覚は、おそらくこんなところにもあるのだろう。 特に、巷にある工業製品を寄せ集めて組み立てるのが主流の今の新築住宅にあって、ものづくりの楽しさを求めることはもはや不可能に近い。そこにあるのは、何と何をどこに使うのかという、各パーツの組み合わせの遊びでしかない。無数に存在する工業製品の組み合わせは無限近くあり、それゆえ何かを作ったのだと錯覚してしまう。そこに陥らないためには、自ら素材を選び、それを自らの手で加工してゆくことこそ必要なのだと思う。その素材として、木は生き物なので、二つとして同じものは存在しない。一つとして同じ家が存在しないのと同じように。
現在の流通システムの中でしか成り立たない家づくりには徹底的に抗いたいと思う。

エンデのセリフをもう一度。
「わたしが書く行為は冒険のようなものだ。その冒険が私をどこへ連れてゆき、終わりがどうなるのか、私自身さえ知らない冒険です。(中略)本当の冒険は、そんな力が自分の中にあるとはそれまでまるで知らなかった、そのような力を投入しなければならない状況へ人を運んでゆくものです」ー「ものがたりの余白」から
今回の古家の改修仕事は、自分にとってまさに本当の冒険だったと言える。この種の冒険に似た感覚、設計された図面通りにものをつくる新築にはない。新築仕事よりも改修仕事に惹かれる自分の感覚は、おそらくこんなところにもあるのだろう。 特に、巷にある工業製品を寄せ集めて組み立てるのが主流の今の新築住宅にあって、ものづくりの楽しさを求めることはもはや不可能に近い。そこにあるのは、何と何をどこに使うのかという、各パーツの組み合わせの遊びでしかない。無数に存在する工業製品の組み合わせは無限近くあり、それゆえ何かを作ったのだと錯覚してしまう。そこに陥らないためには、自ら素材を選び、それを自らの手で加工してゆくことこそ必要なのだと思う。その素材として、木は生き物なので、二つとして同じものは存在しない。一つとして同じ家が存在しないのと同じように。
現在の流通システムの中でしか成り立たない家づくりには徹底的に抗いたいと思う。

やっと裏返し。
屋根、稲刈り、そしてこたつ
昨日、瓦が葺き上がり、10月10日からはじめた屋根工事がやっと終わった。本来、新築なら1週間程度で屋根仕舞となるのだけれど、今回はひと月以上も屋根の上にへばりついていたことになる。当たり前のことだが、屋根の上での仕事は天候に左右されるし、暑さ寒さも倍増するし、足腰への負担も地上の比ではない。若い衆と三人へとへとになりながら、あらためて屋根屋さんの仕事に思いを馳せた。「メーカの下請け仕事では、日当15000円にもならない」という瓦屋さんの話を聞くと、他人のかく汗に対する敬意というものは、自らも汗をかかぬ限り生まれ得ないのだと思う。我々のような町場の工事の中から普段より少しでも多くの利益を出してもらいたいと思う。
家の田んぼは11月に入ってから稲刈り今まででもっとも遅い。結局秋の長雨のせいで田は乾かず、半分以上手刈りした。
今まで使っていた長方形のこたつがもらわれていくことになり、自宅用に直径130センチの丸こたつを新たに製作。ケヤキの板を半分近く削って厚さ3センチにする。真円に足らない部分を新たに継ぎ足して契りを入れる。
もう、今年の終わりが見えてきた。1年が早い。




家の田んぼは11月に入ってから稲刈り今まででもっとも遅い。結局秋の長雨のせいで田は乾かず、半分以上手刈りした。
今まで使っていた長方形のこたつがもらわれていくことになり、自宅用に直径130センチの丸こたつを新たに製作。ケヤキの板を半分近く削って厚さ3センチにする。真円に足らない部分を新たに継ぎ足して契りを入れる。
もう、今年の終わりが見えてきた。1年が早い。



