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ブリコラージュ
「ブリコラージュ」 あり合わせの道具や材料で何かを作ること、転じて、あり合わせのもので急場を切り抜けること。
「ブリコラージュな生き方」という題のコラムが、2週間ほど前、新聞に載っていた。エスキモーたちは犬ぞりの替わりにスノーモービルという選択肢があるにも関わらず、それは故障してしまったり燃料がなくなったりすると無用の長物になってしまうことから、犬ぞりの方が便利であるととらえ、今でもそれを手放そうとはしない、という類いのことが書いてあった。
かわって、われらが住宅業界。大手住宅メーカーの家は言うに及ばず工業生産品だが、中小の工務店、個人の大工の間にもプレカットというものが9割以上(?根拠なしの実感)浸透している。大規模工場でコンピューター管理された機械が流れ作業で柱や梁の加工を行って、大工はそれを現場で組み上げるだけ。木ごしらえから墨付け、刻み、仕上げまで、例えば2ヶ月かかるところを機械はそれを1日未満でやってしまうというのだから、経済効率をまず第一に考えればこの浸透率は一応うなづける。しかし、プレカットというものが普及しだして15年くらい(?)になるけれども、この割合が決して100%とはなっていないし、これからもならないだろうところがおもしろい。家というもの自体が個別いろいろなもので、住み手の生き方もいろいろなのだから、それをすべて機械で画一的にやってしまおうというところにはそもそも無理がある。逆の見方をすれば、大工一人とノコとノミとカンナは小学校の敷地一杯に最新コンピューターと機械を満載したプレカット工場に匹敵する。時間はかかるが。とまれ、2ヶ月かかるところを1日でしてしまうことで、一体誰がどれほど特をしたのだろう?その裏で、誰がどれほど損をしているのだろう?何を得て何を失ったのだろう?誰が幸せになって、だれが不幸になったのだろう?建て主は?大工は?どう?

ノコギリの替わりとなる電動丸ノコ、ノミの替わりとなる電動角ノミ、カンナの替わりとなる電動カンナ、もちろん私も使うけれども、現場で木という素材と向き合う限り、すべての作業を電動工具に置き換えることはできない。それらはコンセントがなければ使えないし、機械自体も大きく重たくてあらゆる場所で振り回す事はできない。1センチ角の角材を切断するのにわざわざ電動丸ノコは使わないし、手に収まるサイズのよく研がれたカンナはあらゆる場所で活躍するし、腰に差した二本のノミはもちろん穴も掘るが、時にはひもを切ったり鉛筆を削るナイフの替わりをする。 一つの目的に特化した機械は、その一つのことに関してはきわめて優秀だが、ちょっと道を外れたことを要求するととたんに無用の長物と化す。やはりある意味、手道具は最も便利なものなのだと言えるのかもしれない。
前にも書いたが、古い家をつつく場合、すべてが現場合わせ。プレカットの入る余地はないし、電動工具だけで仕事を済ます事はできない。必然的に手道具の出番は多くなる。ノコ、ノミ、カンナは望んでもいない古釘や砂埃との格闘を強いられて散々な目に遭い満身創痍。消耗も激しい。これらは、自分で時間をかけて研がねばならない。
「ブリコラージュ」ということばは手道具のみならず材料にも当てはまる。工場で張り合わされた集成材と合板と石工ボードとビニルクロスの類いは、現在の経済流通が正常に動いていて初めて手元に届くものであり、きわめて危ういバランスに上に乗っかっている。自分がこだわって国産の木、ひいては地元の木を使うということはそれが最も確実で便利なものだからだ。これは実感として、私の内に確実に、ある。

「ブリコラージュな生き方」という題のコラムが、2週間ほど前、新聞に載っていた。エスキモーたちは犬ぞりの替わりにスノーモービルという選択肢があるにも関わらず、それは故障してしまったり燃料がなくなったりすると無用の長物になってしまうことから、犬ぞりの方が便利であるととらえ、今でもそれを手放そうとはしない、という類いのことが書いてあった。
かわって、われらが住宅業界。大手住宅メーカーの家は言うに及ばず工業生産品だが、中小の工務店、個人の大工の間にもプレカットというものが9割以上(?根拠なしの実感)浸透している。大規模工場でコンピューター管理された機械が流れ作業で柱や梁の加工を行って、大工はそれを現場で組み上げるだけ。木ごしらえから墨付け、刻み、仕上げまで、例えば2ヶ月かかるところを機械はそれを1日未満でやってしまうというのだから、経済効率をまず第一に考えればこの浸透率は一応うなづける。しかし、プレカットというものが普及しだして15年くらい(?)になるけれども、この割合が決して100%とはなっていないし、これからもならないだろうところがおもしろい。家というもの自体が個別いろいろなもので、住み手の生き方もいろいろなのだから、それをすべて機械で画一的にやってしまおうというところにはそもそも無理がある。逆の見方をすれば、大工一人とノコとノミとカンナは小学校の敷地一杯に最新コンピューターと機械を満載したプレカット工場に匹敵する。時間はかかるが。とまれ、2ヶ月かかるところを1日でしてしまうことで、一体誰がどれほど特をしたのだろう?その裏で、誰がどれほど損をしているのだろう?何を得て何を失ったのだろう?誰が幸せになって、だれが不幸になったのだろう?建て主は?大工は?どう?

ノコギリの替わりとなる電動丸ノコ、ノミの替わりとなる電動角ノミ、カンナの替わりとなる電動カンナ、もちろん私も使うけれども、現場で木という素材と向き合う限り、すべての作業を電動工具に置き換えることはできない。それらはコンセントがなければ使えないし、機械自体も大きく重たくてあらゆる場所で振り回す事はできない。1センチ角の角材を切断するのにわざわざ電動丸ノコは使わないし、手に収まるサイズのよく研がれたカンナはあらゆる場所で活躍するし、腰に差した二本のノミはもちろん穴も掘るが、時にはひもを切ったり鉛筆を削るナイフの替わりをする。 一つの目的に特化した機械は、その一つのことに関してはきわめて優秀だが、ちょっと道を外れたことを要求するととたんに無用の長物と化す。やはりある意味、手道具は最も便利なものなのだと言えるのかもしれない。
前にも書いたが、古い家をつつく場合、すべてが現場合わせ。プレカットの入る余地はないし、電動工具だけで仕事を済ます事はできない。必然的に手道具の出番は多くなる。ノコ、ノミ、カンナは望んでもいない古釘や砂埃との格闘を強いられて散々な目に遭い満身創痍。消耗も激しい。これらは、自分で時間をかけて研がねばならない。
「ブリコラージュ」ということばは手道具のみならず材料にも当てはまる。工場で張り合わされた集成材と合板と石工ボードとビニルクロスの類いは、現在の経済流通が正常に動いていて初めて手元に届くものであり、きわめて危ういバランスに上に乗っかっている。自分がこだわって国産の木、ひいては地元の木を使うということはそれが最も確実で便利なものだからだ。これは実感として、私の内に確実に、ある。

2件のコメント
[C380]
- 2010-03-01
- 編集
[C381]
八代の大工さん
そうですか。金銭的には。しかしそのようなことがながく続くとは思えないですね。結局のところ、施主も大工も誰も得してない、みんな損している、と私は思うのです。
そうですか。金銭的には。しかしそのようなことがながく続くとは思えないですね。結局のところ、施主も大工も誰も得してない、みんな損している、と私は思うのです。
- 2010-03-02
- 編集
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自分で刻んでいる合間に、住宅雑誌読んでたら、プレカットの加工代がやたら高いのを見つけて、工務店が利益を得ているのだと力強く思いました。施主にも色々いるので、損しているとは断言できませんけど。